雑記

ネタバレあり感想とか何かを書き留めておきたくなった時用

アニメCLANNADは人生だったのか

 

CLANNADは人生

 

という言葉がある。「AIRは芸術、Fateは文学」と続くこともあるらしい。文学のことを何だと思っているのだろうか。

しかしながらCLANNADのことは何一つ知らなかったので、とりあえずアニメを視聴してこの言葉の真意を確かめることにした。ネタバレあり。

 

とりあえず1期から視聴。何か大きな意外性があったり、すごいイベントが発生したりではないけれど、スルスルと続きを観てしまうようなテンポの良さがあって楽しめた。

藤林杏がかなり好みに近くて、杏のエピソードが楽しみだったというのも視聴が進んだ要因だったかもしれない。

 

しかしながら、そんなものはなかった。

気付いたら終盤でごちゃごちゃやってた杏含む3人くらいが一気に失恋したいた。

なんでよ。お前OPでちゃんとヒロインの一人ですみたいな顔してたじゃん。自分の気持ちを押し殺して妹の恋を応援しつつも辛くて陰で泣いてしまうとかそういうのあるじゃん、とか思ったりもしたが仕方ない。悔しかったらゲームをやれ、そういうことかもしれない。

結局話は面白いし古川渚もキャラとしては好きなのでこれでいい。

 

そんな感じで1期を楽しく観終わったわけだが、正直この段階だとCLANNADの何が人生なのかよく分からなかった。感動の形容詞として雑に人生という言葉を当てはめていると予想していたが、そんなめちゃくちゃ感動する部分もなかったような感じ。しかしCLANNADの本番は2期からみたいな謎の認識が自分の中にあったので、ワクワクしながら、そして藤林杏の見せ場に若干の期待を抱きながら2期を観始めた。

 

1期であんまり触れなかったキャラに焦点を当てていてそれはそれで楽しかった。春原の妹が兄に黙って勝手にいろいろ動いた上に最終的に泣くことしかできなかったのはアンチ中身ガキ理論の信者としては悲しいことだったが、春原がかっこよかったので良しとする(イケメンに弱い)(別に春原の妹が嫌いなわけではない)。

 

そんなこんなで気付いたら主人公が卒業していたし就職していた。ここでようやく「CLANNADは(岡崎朋也の)人生(を描いた作品)」ということなのではないかということに気付き始めた。

そしてあの16話~18話に差し掛かる。気付いたら21歳の男が大きな声で泣いていた。深夜に。泣くのが久々すぎてリアルに心が洗われるような気がした。CLANNADは人生

 

あとは最終版を見届けるだけということでニコニコしながら観てたら、ここに来て学生時代よりちょっと落ち着いて良い感じに大人の雰囲気を醸し出す藤林杏が登場。正直一番アツいポジションだったと思う。幼稚園の先生と再婚しうるというのはメジャー(野球漫画の)で証明されているからだ。まあ、ここから関係を進めるための尺もなければいまさらそんな展開があっても逆に冷めそうなのでなくて良かったけど。

 

そうこうしているうちに最終話を迎えるわけだが、まさかここで取り戻した感情をすべて失うことになるとは思っていなかった。

シンエヴァの時、最終的に世界をやり直す的な話になっていたと思う(違ったらほんまにすいません)。そこで思ったのが「え、第3村はあんなに頑張ってたのになかったことになるんですか?」ということだ。確かに世界をやり直したほうが登場人物の総合的な幸福度は高くなるだろうが、あんなに前半丁寧に描いてこっちは第3村に相当の思い入れがあるのに無かったことにするのかよ、と。同じようなことがCLANNADでも起こった。

そもそも最終回は説明不足な気がしていて軽く調べたりもした。その結果の自分の解釈があっているのかはわからないが、多分様々な並行世界が渚も汐も無事な世界に一本化された的な感じだと思う(違ったら本当にごめんなさい)。てことは俺が深夜にでかい声を出して泣いたあの16~18話も無かったことになるわけだ。まあ無かったことになるというと語弊があるかもしれないが、こっちは数話かけて渚が居なくなったことを受け入れてかつ新たに育まれた汐と朋也の絆をおかずにして飯を食っていたのに、いきなりやっぱり別の並行世界に飛びますというのもとんだ肩透かしだと思う。

こういう世界をやり直すとかそういうの結構苦手だったりする。

 

CLANNADは人生の意味もなんとなく分かったし16~18話の初見は最高だったけど、最終話のせいでなんか微妙な気持ちになってる、そういう感じ。

お前の解釈おかしいとかそういうのあったら教えてください。